Illuminate Journey – 2

 朝、目が覚める。
 いつもと違う部屋。空気、音、人の気配。どれも福岡の実家とは全然違う。
カーテンの向こうに広がる住宅街の景色は、まだ全く馴染みが無い。
 それでも、心は不思議と前を向いている。
「やったるぜ」
 誰もいない部屋で、愛夏はひとりガッツポーズをして気合を入れる。

 出勤初日。
 昨日はいなかったメンバーにも会った。シェフのアスラン=ベルゼビュートⅡ世と、パティシエの東雲荘一郎。とくにアスランの歓迎の言葉には度肝を抜かれたものの、少なくとも悪い人ではないということは愛夏も直感的に理解していた。
「びっくりした?」
 そう尋ねてきた咲に、愛夏は不器用に笑って答える。
「ちょっとだけ。でも、良い人そうですよね」
「悪い人なんていないよ! みーんな、Café Paradeが好きでここに集まってるんだから」
 咲の言葉は、人によってはきれいごとに聞こえそうなのに、彼女の言い方は不思議なくらい説得感に満ち溢れていた。昨日、凛と一緒に足を踏み入れた時から感じていたこの場所の雰囲気が、そう感じさせているのかもしれなかった。
 最初、愛夏はキッチンでの仕事を希望したものの、開始十分でアスランが頭を抱えた。
「うーむ……闇の深淵を覗き、混沌を誘う強力な魔力の暴走……この魔力を扱うには、並々ならぬ鍛錬を積まねばならん」
「えーっと……」
「まあ、まずはホールからがいいんじゃないでしょうか」
「えー」
 不公平さを感じつつも、結局、愛夏はホールでの仕事を咲に教えてもらうことになった。
 とはいえ、それからの出だしは順調で、愛夏はケーキと紅茶の種類もすぐに覚え、接客方法も瞬く間に体得していった。
「すごい、まなかちゃん、紅茶入れるのうまいね!」
「そ、そうかな?」
 なにより、どんなに小さなことでも、これでもかというくらい咲が褒めてくれるのが、くすぐったいものの、嬉しかった。そして、小さなミスをすることがあっても、咲は決して責め立てたりせず、どうすれば良かったのかを一緒に考えてくれた。
 愛夏にとって、こうやって当たり前に自分のために会話をしてくれる人がいることが、なによりも幸せに思えた。

 そうやって、愛夏の出勤初日は、つつがなく終わりへと近づいていった。
 夕方に差し掛かり、昼過ぎは賑やかだった店内が徐々に静かになっていく。
 咲に店内の掃除と片付けを教わっているとき、からんからんとドアが開く音がした。
「こんにちはー」
「いらっしゃいませ!」
 すでに体に染みついた声を出し、反射的に入口の方を見た愛夏は、入ってきた女性客に見惚れてしまった。
 淡い飴茶色をした三つ編みの髪を下ろしている、落ち着いた佇まいの女性。ベージュのキャミソールにワイン色のカーディガン。ぱっと見ただけで優しい花の香りが漂ってくるような、そんな雰囲気を纏っている。
(き、綺麗な人……っ!)
 その女性は愛夏を見て、女神のような微笑みをこぼした。
「まあ。新人さん、かな?」
「あっ、ちゆきさんっ、いらっしゃいませー!」
 愛夏の後ろから咲が声をかける。慣れた様子で窓際のテーブルに座った千雪のもとへ、愛夏は胸を高鳴らせながらメニュー表と水が入ったグラスを運んだ。
「今日の日替わり紅茶は、グリーンジャスミン?」
「はい。緑茶ではあるんですけど、ほんのりと優しいジャスミンの香りがするんです。フルーツパウンドケーキと合わせるのがおすすめですっ」
「へえ、そう言われると迷っちゃう」
 にこにこと嬉しそうに言う千雪ちゆきを、愛夏は緊張した面持ちで見つめていた。
「じゃあ、せっかくおすすめしてもらったから、このグリーンジャスミンと、フルーツパウンドケーキ、お願いします」
「はいっ、かしこまりました!」
 愛夏の手は震えていた。それまでは当たり前のようにこなせていたことが、千雪のことを意識すると、急に緊張してしまう。咲に手伝ってもらいながら、なんとかケーキと紅茶をトレーにのせて、慎重に千雪のもとへ運ぶ。
「お待たせしました」
 ケーキをテーブルの上にのせ、つぎにティーカップを手にとり、テーブルの上に運んだ次の瞬間。
 ほんの一瞬の気のゆるみだった。
愛夏がテーブルに置こうとしたティーカップが、傾きに堪えきれず、がちゃんと嫌な音を立てて倒れた。反射的に愛夏はカップをすぐに戻したものの、半分ほどこぼれた紅茶の染みが、テーブルクロスにじわりと広がっていく。
「ご、ごめんなさいっ!」
 すぐに咲が何枚かのトーションを手に駆け寄り、ティーソーサーの下を手早く拭いていく。
「お洋服とか、汚れてませんかっ」
「ええ、大丈夫」
「まなかちゃん、こっちはやっておくから、紅茶、入れ直してきて?」
 咲の優しい声にますます落ち込みながら、愛夏は小さく頷く。
 やってしまった。
 新しく入れ直した紅茶を持ってきたとき、クロスの上にはきれいなテーブルナプキンが、できるだけ目立たないように何枚か敷かれていた。愛夏はその上に、今度こそこぼさないように紅茶を置く。
「本当にすみません。こんな初歩的なミスで、恥ずかしいところをお見せして」
「いいのよ、誰でも失敗をするものだから」
 千雪の優しさが、余計に胸に刺さる。
「いつからここで働いているの?」
「今日が初出勤日です」
「そうなの。むしろ、そんな風には全然見えなかったな」
 心がしゅんとするのを隠し切れず、愛夏はうつむいてしまう。お客様の前なのに、失敗した辛さを隠し切れない自分がますます嫌になってくる。
「私、桑山くわやま千雪です」
 唐突な自己紹介に愛夏は顔を上げて、優しく自分を見上げる千雪を見た。
「愛夏ちゃん、かな。よければ、少しお話しませんか? あっ、もちろん、お忙しくなかったらでいいんだけど」
 千雪の言葉に、愛夏はちらりと咲のほうを見る。咲がウインクで合図を送ったのを見て、愛夏は「失礼します」と言って、緊張気味に千雪の向かいに座った。
「愛夏ちゃんは、どこから来たの?」
「福岡です」
「まあ、遠路はるばる。私、山口出身なの」
「そうなんですか?」
 千雪の思わぬ言葉に、愛夏はわずかに親近感を覚える。
 山口と福岡。もちろん、下関を越えなければいけないから決して近くはないけれども、少なくとも、今いる東京よりはずっと近い。
「夏休みの間だけ、お手伝いで来てるんです。ここの店長が叔父の知り合いで」
「へえ、幸広くんの」
 ゆきひろくん。その響きだけで、千雪がどれだけ長い時間をここで過ごしてきたのかが手に取るようにわかった。
「でも、どうしてわざわざ東京まで……?」
 千雪の当然の質問に、愛夏は言葉を詰まらせる。
「どこか、いつもと違う場所を探してて」
 うまく言葉にできない。愛夏の心の中には、千雪に変に思われたくない、という気持ちも大いにあった。そんな愛夏の不安を感じ取ったのか、千雪は深く踏み込むことはせず、優しく微笑んだ。
「そうね。ここ、特別な雰囲気があるから」
 そう言って、愛夏が用意したグリーンジャスミンに口をつけ、おいしい、と呟いた。その姿に、愛夏は思わず見惚れてしまう。
「私もどこか、場所を探していたの。自分が自分でいられる場所、とか。それで、東京に出てきて、ここを見つけて」
「そうだったんですね」
「今は近くの雑貨屋さんで、自分の手芸作品を作ってるの。私もはじめて来た時は、いっぱい失敗したなあ」
 何かを思い出すように、窓の外を見ながら千雪が言う。失敗、という言葉を聞いて、愛夏はふたたび目を伏せた。
「ごめんなさい」
 自信なさげに愛夏が言うと、千雪は慌てて首を横に振った。
「違うの。失敗しても、間違えてもいいのよって、そう言いたかったの」
 千雪の言葉に、愛夏が顔を上げる。
「いっぱい失敗して、いっぱい間違えて。でも、きっとそうやって歩いていく姿が正しいんだと、私は信じてる」
 間違えながら歩いていく姿が、正しい。千雪の言葉を、愛夏は心の中で繰り返した。
「それに、私は愛夏ちゃんが紅茶をこぼしちゃったことより、こうやってグリーンジャスミンとフルーツパウンドケーキをおすすめしてくれたことが、すごくうれしかったな」
 千雪がそう言って微笑むと、愛夏は「ありがとうございます」とお礼を言いながらも、顔がぽっと熱くなるのを感じた。
「大変、もうこんな時間」
 壁の時計を見た千雪が驚いた様子で声を上げる。
「つい楽しくて。お会計、お願いします」
「はいっ!」
 レジで会計を済まし、店の外まで見送りをした愛夏に、千雪は笑顔をこぼしながら手を振った。
「またね、愛夏ちゃん」
 千雪の優しい声色で紡がれる「まなか」の響きが胸に刺さり、愛夏は言葉を忘れて、ただ千雪の背中に手を振った。
「ふぇへへ」
 ついさっきの失敗した記憶が嘘みたいに消え去り、代わりに千雪の暖かいまなざしと言葉が心に残る。
「明日からもがんばろ」
 誰にも聞こえないように、こっそりと一人でつぶやく。

・ ・ ・

 一日、二日、三日。
 日を重ねるごとに、愛夏はCafé Paradeに馴染んでいった。
 緊張していた接客も、日を追うごとに楽しく世間話ができるくらいの心の余裕が生まれた。常連客はすぐに愛夏のことを覚えてくれて、たくさん名前を呼んでくれた。
 後から入ってきた人間なのに、Café Paradeは愛夏のことを何も拒むことなく、愛夏のために一人分の場所を空けてくれた。それは、愛夏にとってこの上なく幸せで、心地良いことだった。
 そして、愛夏もこの場所に応えようと思うようになった。
 空調で寒そうにしている人がいれば、ブランケットを手渡した。
小さな子供連れがいればすぐにベビーチェアを運び、座るのを手伝った。
 疲れた様子の婦人が来たときは、リラックスできるカモミールティとレモンケーキをそれとなくおすすめした。婦人は「ありがとう、優しいのね」と言って愛夏のおすすめを注文した。
Café Paradeに来てから、愛夏は「ありがとう」と言われることが増えた。
 それはもしかしたら、この場所のおかげかもしれない。けれども、愛夏自身も、自分が少しずついい方向へ変わっていっていると感じていた。

 Café Paradeで働き始めてから五日目。
 愛夏は、ほぼ毎日、同じ少女が決まった時間に来店していることに気付く。
 おやつの時間を過ぎた午後四時前。サイドの片側に編み込みを入れた可愛らしいその少女は、毎回決まった席に座り、日替わりの紅茶だけを頼んでから、一時間ほど読書に夢中になっている。
 愛夏も連続でこの少女の接客をしていたので、自然とお互いのことを認識しあっていた。
「本日の日替わり紅茶、ラベンダーティーです」
 紅茶をテーブルの上に置くと、本から顔を上げた少女が愛夏を見てぱっと顔を明るくする。
「ありがとうございます! すごい、良い香りですね」
 いつもはすぐに立ち去るところを、愛夏はふと思い立って声をかけてみることにした。
「本、お好きなんですか」
 愛夏の質問に、少女が頷く。
「はい。ここ、とても落ち着いて読書が捗るんです。今はちょうど夏休みで時間もあるので、午後の何もない日はつい足を運んじゃうんです」
 ちょうどその時、入り口のほうからからんからんとドアが開く音がした。見ると、店の中に入ってきた凛と目が合う。
「あれ、百合子ゆりこ、来てたんだ」
 百合子と愛夏を見た凛は、二人の方へ歩み寄ってきた。
「凛さん、こんにちは」
「凛ちゃん、知り合いなの?」
「うん。私とおなじ、いつもここに通ってる子」
「ご挨拶が遅くなってすみません。私、七尾ななお百合子です」
「灯里愛夏です。夏休みの間だけ、福岡からヘルプで来てます」
「福岡! すごいですね。福岡といえば」
 ラーメン、辛子明太子、もつ鍋。他県の人が思い浮かべそうな、とくに博多に限定した名物の単語が、ぱっと愛夏の頭に浮かぶ。
「ルベージュホテル連続殺人事件!」
「……え?」
 予想の斜め上をいく言葉に、愛夏は目を点にする。
「今となっては著名なミステリー作家、高木扇たかぎせんの目立たない佳作のひとつで、博多駅前一等地のホテルで起こる連続殺人が、実は意外な共通点でつながっていて、主人公の新米刑事が犯人を追い詰めるために福岡のあちこちを飛び回るんです。一時は手掛かりが途絶え、迷宮入りしそうになったところを、東京から左遷されてきたベテラン刑事が主人公とタッグを組むことになってから一気に物語が展開して」
「百合子、百合子。ストップ」
 凛が呆れながら百合子の肩を叩くと、百合子ははっとした様子で言葉を止めた。
「すみません、私ったらつい」
 面白い子。愛夏の中で百合子にそうラベルが付けられる。
「そういえば、愛夏、休みの日っていつ?」
「えっと、水曜日はお休みって聞いてるから、明後日かな」
「よければさ、せっかくだから東京観光できたらどうかなって。私案内するし」
「いいのっ?」
 思わず喜びの声をあげてしまい、凛が驚きながらもこくりと頷く。
「百合子も一緒にどう?」
「いいんですか? ぜひご一緒したいです!」
 そんな、両手に可愛い女の子たちを連れて東京観光なんて。想像しただけで愛夏の頬が緩む。
「でも、どこに行きます? 観光案内って言っても、東京ってけっこう観光地、散らばってますし」
「そんなに観光地にこだわらなくてもいいかもね。新宿から、山手線沿いに駅の近くのランドマークを辿っていく感じで」
 二人の美少女があれこれと話しているのを、愛夏はまるでドラマを見ているかのような気持ちで眺めていた。二人が可愛いくて眼福なことはもちろん、そんな二人が自分のために優しくしてくれることは純粋に嬉しかった。

・ ・ ・

 二日後、東京に来てからはじめての休日。
愛夏は出勤初日よりも緊張した面持ちで家を出た。
 乗り換えアプリが示す通りに電車を乗り継ぎ、山手線の新宿駅へと移動する。構内図と何度かにらめっこをしながらも集合場所に辿り着き、改札口の上に掲げられた出口の名前と、待ち合わせ場所の名前を見比べた。
「ここで合ってる、よね」
 あたりをきょろきょろとうかがっていると、すぐに後ろから声をかけられる。
「愛夏!」
 振り返ると、ちょうど凛と百合子が改札から出てきたところだった。
 百合子は淡い空色の可愛いらしいワンピースを着て、髪には黄色のリボンが編み込まれている。全体的にクラシカルな雰囲気で、いかにも文学少女らしい佇まいをしている。
 愛夏の目を引いたのは、凛の白いノースリーブシャツだった。たしかに東京の夏は、愛夏が想像していたよりもずっと暑い。それでも、こんなに大胆な服を涼しげに着こなせるのは凛ならではだと思った。
「何?」
 愛夏の視線に気づいた凛が、訝し気に言う。
「二の腕がまぶしいなあと思って、えへ」
「……愛夏、そういうの、ちょっと気持ち悪いからやめたほうがいいよ」
「うっ」
 冗談抜きで軽蔑する眼差しに刺され、愛夏が怯む。
「ま、まあまあ、愛夏さんなりに褒めてるんですよ、ね?」
「そうそう! 褒めてるの!」
 百合子のフォローに便乗するものの、凛は納得しない。
「まあ、いいけど。で、まずは歌舞伎町だっけ」
「はい。そのあと原宿に行ってからどこかでお昼を食べて、渋谷と、時間があったら秋葉原も行ってみましょう」
 百合子が話す地名の半分くらいはわからなかったけれども、愛夏の心はすでに期待で高鳴っていた。

 夜は昼とは違った一面を見せるという歌舞伎町。ゴジラの頭が飛び出した映画館。ゲーム会社のアミューズメント施設、その中はサイバーパンクな独特の雰囲気を持つフードコードと、アイドルや歌手のグッズを売るコーナーやミニイベントを開催できるスペース。人が多いビル街のような場所は福岡にもあるものの、独特な雰囲気を持つアミューズメント施設は、愛夏の目には珍しいものに映った。
 それから、電車で原宿へ。竹下通りの商店街でウィンドウショッピング。
「なにあそこ、すごい」
「ああいうクラシックな服だけを取り扱うお店とか、けっこうありますよね。私もたまに覗いたりします」
「うん。あと、こっちのほうは結構カワイイ感じのファッションショップも多いかな」
「ほえー」
 福岡にもそういうお店はあるし、初めて見るわけじゃない。けれども、これだけ高密度でトレンディな店が並ぶ通りに、愛夏は感嘆の声を漏らした。
 一通り竹下通りの店並びを見たあと、ファミレスで昼食を済ませ、渋谷駅へ。
 改札を出てから一度も建物を出ないまま、凛が歩くままにビルの中を通り抜け、エレベーターに乗る。
「これは、いま愛夏たちはどこへ向かってるの?」
 愛夏が聞くと、渋谷はにっと笑った。
「展望台。すごいよ、渋谷の街が一望できるの」
「私もはじめて来ました。ずっと行きたいと思ってたんですよね、ここ」
 十四階で受付を終えた後、さらにエレベーターで上へと登る。天井に映る幻想的な映像が、愛夏の高揚感を高める。
 エレベーターを降り、ガラス張りの自動ドアを抜けて外に出ると、絵の具を塗ったように鮮やかな青空が目の前に広がっていた。さらに進むと、ガラス張りの手すり越しに、広大な街の姿が見えた。
「すっご!」
 さっきまで見ていたショッピングセンターやビル、鉄道の駅と線路が、まるでミニチュアのように地面に広がっている。
「上も行ってみませんか?」
 百合子の誘いに、三人はエスカレーターに乗ってさらに上へと昇る。
 最上階には芝生の広場が整理されていて、底抜けに青い空の下、多くの人が思い思いの時間を過ごしていた。
「風つっよいね」
「うん。でも、気持ちいい」
 凛の言葉に、愛夏は強く頷く。
 三人は景色が見えるベンチに並んで座り、しばらく眼下に広がる街を眺めた。ここにいると、心にわだかまっていた不安が風に流されて、素直な気持ちだけが綺麗に残るような、そんな気がする。
「愛夏って、変じゃない、かな」
 ぽつりと、愛夏が言った。
 二人は少しだけ驚いた様子を見せる。愛夏は何か言おうとしたものの、これ以上どんな言葉を続ければいいかわからない。
「まあ、変、だよね」
 凛が苦笑いしながらそう言って、うぐ、と愛夏はうめき声をあげた。
「カフェパレで働く時点で……なんというか、個性的だとは思います」
 フォローするのかと思いきや、追い打ちをかける百合子の言葉に、愛夏はますます表情を曇らせる。
「でも、私はそのままの愛夏さんでいいと思います」
 百合子が続けた言葉に愛夏は顔を上げた。凛が同調して頷く。
「私も。たまにちょっとおじさんくさいけど、別に迷惑かけてないし。それに、カフェパレの人たち、愛夏のこと褒めてたよ」
「そうなの?」
「うん。仕事覚えるのも早いし、元気だからこっちまで笑顔になるって、咲が言ってた」
 影で何か言われてるかと思った。それが、最初に愛夏の脳裏に浮かんだ感想。
 学校での出来事が、また脳裏に蘇る。何度拭おうとしても絶対に消えない記憶。じんじんと痛み続ける心の傷。胸に手を当ててみる。
「私、学校では図書室の暴走特急って呼ばれてるんです」
 百合子の突然の言葉に、凛がふき出した。
「ふふっ、なにそれ」
「それが、なぜかわからないんですよね……。学校の図書室の本は全部読んでて、新しい本が入ったらすぐに図書室に行って全部読み通してるだけなんですけど」
「すごっ」
 愛夏が思わず驚きの声をあげる。
「まあ、百合子ほどじゃないかもしれないけど、人と違うとこは誰でもあるでしょ。
それでも、自分が居ていい場所はどこかにあると思う。Café Paradeみたいにね」
「そうなの、かな」
「だから、無理に自分を変える必要なんてないよ。変わりたいと思うことがあれば、変わればいいけど。誰かに合わせたりとかしなくていいし、愛夏は今の愛夏のままでいいって」
「私もそう思います! 愛夏さんと一緒にいると、なんだか心が温かくなるんです」
 百合子の言葉に、愛夏は目を見開いた。
「そんなこと、はじめて言われたかも」
 二人が笑顔で愛夏を見る。少なくとも今は、この二人の瞳を信じたいと、愛夏はそう思った。
「嬉しい、なんだか愛夏も心がぽかぽかしてきた、えへへ」
 愛夏が言うと、二人はさらに笑った。
「いつか、福岡も遊びに来てほしいな。いっぱい案内するから」
「うん。行ってみたい、愛夏のふるさと」
「私もです! 約束ですね、三人の」
 二人の言葉に、愛夏はますます心が温かくなるのを感じた。

・ ・ ・

 一通りの東京観光を終え、帰りの駅へと向かっていた途中。
駅前に溢れる雑踏の間を流れる、アコースティックギターの音色と芯の通った声が、愛夏の耳に触れる。
 何かに心を掴まれたように、愛夏は足を止めた。
「愛夏さん?」
「ちょっと見に行っていい?」
 愛夏の言葉に二人が頷く。
 引き寄せられるように足を向けた先には、一人の少女が路上に立ち、ギター一本で歌を歌っていた。たくさんの人が行き交う中、二、三人が足を止めて聞き入っている。
「いいよね、こういうの」
 凛がぽつりと言う。
「このあたりは結構多いですよね、ストリートミュージシャン」
 そんな二人が考えていることと、愛夏は違うことを感じていた。
 ストリートミュージシャンは、別に珍しいものじゃない。福岡なら博多駅前もちろん、それ以外の場所でもよく目にする。
 愛夏が惹かれたのは、彼女の歌声だった。
 とても力強く声量があって、それなのに乱暴に歌っているわけではなく、優しいトーンになるよう声色を絶妙にコントロールしている。選曲も力強い曲調ではなくて、むしろ背中を押してくれる優しさを感じるような、そんな歌だった。
「そろそろ行こうか」
 一曲演奏し終わったところで、凛が言う。
 愛夏はとっさに、地面に置かれた看板に書かれた「春風千晴はるかぜちはる」という名前と、SNSのアカウントをスマホにメモした。


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