一週間と少ししか続かなかったね。久しぶりの日記。
二次創作をしていた頃から、よくまわりで耳にしていたのが「コンスタントに作品を出していないと忘れられる」という発言。
気持ちは分からなくもない。
創作活動をしている自分が強いアイデンティティであって、かつSNSアカウントをその宣伝・告知目的として運用している場合、たしかに継続して作品を出し続けることが非常に重要であることは間違いない。
では、そうでない場合は?
そこにいるのはただのひとりの人間で、創作以外にもその人の生活や人生があって、必ずしも創作活動だけがその人を形作るものではなかったとしたら?
私の場合、そのほうが自然で、しっくりくる。
別に適当に手を抜いて創作活動に取り組んでいるわけではない。
けれども、私を形作るものはもっとたくさんの要素があって、私はマイクロブログ系のSNSとかこことかを、そういう自分を形作るものを発信して記録する場、と考えている。
そして、そうであっても、きっと誰かは私のことを覚えていてくれる、と、妙な自信を持っている。
今年のはじめ、文学フリマ京都に出店した時に思いがけない言葉をいただいた。
「昨年の文学フリマ京都で買って、すごく良かったのでまた来ました」と。
その時から、きっと覚えてくださる方は、私がどこで何をしていようと、私を私として覚えていてくださるんだ、と、信じることにした(そして、一年間活動を継続して、イベントに出て良かったな、と心から感じた)。
Xなどのbioを、最近少し書き換えた。
「小説を書いたり、推し活したり、生きたり」
とにかく、生きている。
生きている限り、覚えていてくださる方もいるし、忘れてしまう方もいるかもしれない。
たぶん、人ってそういうものだ。
だから、私は今日も変わらず生きていく。
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