各SNSでお誕生日を祝っていただいた皆さま、ありがとうございました。
「35歳かー」
と言ったら、家族に
「あんた今年34歳やで」
と言われ、冷静に生まれ年から逆算してみると、たしかに34歳だった。
1年、得した気分。
普段から年齢をほとんど意識していなくて、会話の流れで「おいくつですか?」と聞かれると、
「えーっと……(今が2025年で、生まれが1991年だから、差し引き34、でもまだ誕生日を迎えていないから1引いて33)……33歳です」
と毎回頭の中で計算している。
それくらい、自分の年齢を覚えていない(聞かれる機会がそもそも少ないというのもあるかも)。
「ハタチになったらいろいろ変わるでー笑」と言っていた大学の先輩。
「三十になったら身体ヤバイよ」と言っていた会社の先輩。
結局、二十になろうが三十になろうが、別に大きな変化は無かった。
私にとって年齢は良い意味でもドライな意味でも数字でしかなくて、あまり気にせずに生きている。
他人からは物差しみたいに「~歳だったら~でしょう」みたいな言い方をされるけど、ここ数年でそれすらもほとんど気にならなくなった。
とはいえ、身体の変化が全くない訳じゃない。
まず、意識して運動しないと体力が落ちるようになった。
少し体を動かさなかったり怠けた生活をすると、ずるずると疲労が溜まりやすくなる。
あと、気圧や季節の寒暖差の影響を受けやすくなり、自律神経が乱れやすくなった。
これは年齢のせいなのか、地球の環境がおかしくなってきているのか、私の悩みや考え事が増えすぎてストレスを抱えやすくなったのか、何が原因なのかは正直わからない。
だけど「ものごとを問わずに集中するための根性・体力」みたいなものが確実に失われているように感じる。
だから、のんびり生きていくとか、夢中になれることをするとか、そういうことがますます大切になっていく。
良いこともある。
自分の中の自分軸、アイデンティティ、信念のようなものが、ようやく根付いてきたと感じる。
「他の人の言うことなんて気にするなよ」「競争なんかせず、自分らしく生きていこう」なんて口にするのは簡単でも、どうしても社会で生きている以上は他人を気にしてしまうし、誰かが評価されたり称賛されていたら嫉妬をするし、他人の評価が無いと自分の価値を疑ってしまう。それが人間だ。
それがここ一年くらいで、ようやく他人軸から脱して、自分は自分なりに「良い道」を選んで歩き始めているな、という感覚が湧いてきた。
小さいころからダラダラと生きてきて、やりたいことも夢も別に無くて、なんとなくで誰かの顔を伺って期待に応えながら生きてきて(でも「誰かの期待に応えられること」は一つの才能だとフォロワーさんに言ってもらえた)。あまり「自分の人生を歩んでいる」という感覚が三十年間無かったのが、ようやく、その感触を掴めつつあるような気がする。
「このままでいいのか」というモヤモヤに向き合って、自分は本当は何がしたいのか、どうありたいのか、耳を傾けて、その気持ちを大切に育ててきた。その結果、自分の手綱をようやく自分で握れたような、そんなイメージ。
他人に何かを言われてムッとすることが全くない、わけではないけれども、少なくとも「はいはい」と受け流せるくらいには自己肯定感が養えた気がする。
「年齢を気にしない」も結局ここにつながっていて、よく言われる「何歳から始めるのも遅くはない」を実践する時期に入りつつあると思っている。
新しい経験をするとか、知らない景色を見るとか、今までやったことないことに挑戦するとか、そういうことを「年齢」を理由に諦めない人生にしたいな、と改めて感じる。
そのためには、体力維持が重要。
運動、頑張ろう。
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